徳川家康の正室。本名は瀬名(せな)。 別名を鶴姫という。築山御前(つきやまごぜん)とも呼ばれる。 築山殿・築山御前という呼称は、長く岡崎城郊外の築山に幽閉されていたことによる。 今川家一門、瀬名家の関口親永の娘。 母は今川義元の妹で、つまり義元の姪にあたる。 また、室町瀬名が迎えられる、岡崎の築山御殿、粟生光明寺方丈(勅使門の端っこをちらりとナメて石庭越しに縁先を見る図、本堂南側の崖から)。 今川を討つべく出陣する「家康」、徳川・今川・武田入り乱れて戦の野原、不明 (破れた今川の旗指物が川に打ち捨てられるシーンは酵素か) 。家康の正室・瀬名姫の悲壮感漂う生涯・・・ 17年大河ドラマ『おんな城主直虎』で有名になった家康の正室、瀬名姫。 家康が今川家から独立したのを境に、瀬名姫は徳川の敵となった今川家の人間ということで不遇な人生を送ることとなります・・・。 瀬名姫はいいとこのお嬢様! 家康と瀬名姫か結婚したのは1557年、家康が16歳の時であります。 今川家は足利将軍家とも親戚関係のある格式高いお家柄であり、三河・遠江・駿河の三国を支配下に置く大名。 瀬名姫はその今川家当主・今川義元の姪っ子(と言われている)なのです。 とてもいい所のお嬢様であります。 かたや当時の家康
徳川家康のハナシ 戦国時代を終わらせて天下泰平が265年つづく江戸幕府を開いた 年表 エピソード 何をした人